世田谷は源氏関連の神社が点在しており、源氏の氏神である八幡神社も多いのですが、
          鎌倉街道のルートの一つに位置する事と、多くの社寺がこの地の領主だった奥州(武蔵)吉良氏に関わる創建が多いからだそうです。
          平安時代の万寿三年(1026年)、石清水八幡宮より御神霊を勧請し創建されたといいます。
          天明八年(1788年)に再建された旧本殿は、世田谷区最古の神社建築で、平成四年に世田谷区有形文化財に指定されました。
          正式名称は「八幡神社」ですが、通称である「勝利八幡神社」の方が名が通ってます。
          この通称の由来は、日露戦争に徴兵され出征した氏子が無事に帰ってきたことから、いつしかそう呼ばれるようになったと言われてます。
          現在ではこの社号にあやかってか、必勝祈願・勝運向上に霊験があることが知られ、「勝ちたい!」参拝者が多い事で有名です。
          東京都世田谷区桜上水3-21-6

 
              昔の上北沢村は現在の上北沢と桜上水を合わせた地域でした。歴史は浅く昭和になって生まれた地名です。
              地名の由来はこの辺りを流れる玉川上水に続く桜並木が見事だったので地元の人が桜上水と呼び、それが昭和12年にできた京王線の駅名となり、そして昭和41年の新住居表示の際に上北沢が分割され、その東半分が桜上水と名付けられました。
              上北沢村は台地上の土地ながら湧き水が多く、縄文時代から人が暮らしているような土地でした。
              そういった湧き水が集まって北沢川となり、上北沢はもちろん下流地域の生活用水にもなっていました。

 
              江戸時代には幕府代官伊奈半左衛門の統治する天領となりました。
              1654年には村の北を流れる玉川上水が完成し、1658年には飲料水としての分水が許可され、1670年以降には玉川上水の拡張工事に伴って北沢川に北沢用水として田畑に引く水も分水されるようになりました。
              村の北には甲州街道が横切り、大きな繁華街である上高井戸宿と下高井戸宿の間に挟まれているといった土地柄でした。
              甲州街道沿いは繁華街に農産物を供給する農村地帯として村は発展していったようで、明治9年の地目でも田畑が90%以上宅地が2%といった純農村地帯だったようです。
              1713年には天領から増上寺の寺領となり、そのまま幕末まで増上寺の管理下に置かれます。
              村全体が寺領となっていたのは世田谷ではここだけになります。

 
              神社の歴史は古く1026年に京都の石清水八幡神社より応神天皇を勧請して創建されたとされています。
              現在の勝利八幡神社は、昭和43年に本殿が建てられ、境内が整備されているので新しい感じのする神社になっています。
              以前の勝利八幡神社は境内の中央に築山が築かれその上に本殿が納められている覆屋が建てられていました。
              旧本殿には八幡宮宝殿再建の棟札が残っていて、1788年に高橋宇八らの手によって再建が行われたと記されています。
              世田谷区内に残る神社建築では一番古いもので、建築技法や納まりは高い力量を持った宮大工の技術であり、建築史上貴重な遺構という事で平成4年には区の有形文化財に指定されています。
              勝利八幡という社号にあやかってか、必勝祈願や勝運向上に霊験があるのではとスポーツ関係者の参拝が多いようです。